むらまつ物語

むらまつ物語

そもそものはじまり

当店は、西尾市で建築板金業を営み80年余りになります。

創業者、村松利作によって、カネリ(利作の利から取ったものと思われる)村松鈑金店として、鶴舞町(現鶴城高校正門南)に作業場を構えたところからスタートしました。

初代利作は、板金細工が上手く、一枚の銅板から、湯飲みや、茶筒を打ち出し技術により作ったといいます。

西尾祭りに使われたのか、古い写真にトタンで出来た人型ロボット?があり、
「ブリキ屋って何でも作れるのか!」と、子供心に妙にワクワクしたものです。

初代 利作

初代とは、私が高校を出た直後、一緒に現場作業に行った記憶があります。無口で、いかにも職人という雰囲気をもった人物でした。
息子である信利とともに鶴舞町の作業場から中町(現中善楽器北)に移り、大工さんの依頼から、雨どい釣り(トタンを丸めてはんだ付けでした)を中心に、大正箱(衣類ケース)作成や、トタン波板壁張りなど主に小規模な仕事をしたそうです。「ブリキやさん」と呼ばれるほうが多かったそうです。
私が点検でお邪魔した宅のおばあちゃんに「あんたのおじいちゃんが作った大正箱だ。」と、押し入れから見せてくださったことがありました。

二代目 信利

私の父親、信利の代になり、小規模な手仕事から、建設会社の下請けとして中、大規模の工事を請け負う、野丁場主流工事を中心にするようになりました。
信利自身でも、「総合建築板金業」というフレーズを作り、業界組合でも斬新な活動を行ったそうです。

そして仕事内容は、トタンの長尺屋根とか、大型レッカーを常時扱う大規模の工事が、仕事の中心になりました。

現場も豊橋や豊田、安城など、郊外、市外中心になりました。住込みの若い衆も常時2人ほどおり、職人の数も5人ぐらい居り、幼い私を良く遊んでくれた記憶があります。時代は高度成長期真っ只中で仕事をどうこなすか毎日大忙しの時代だったそうでした。

私が高校生のとき現在の丁田町に引っ越しました。まわりは田んぼばかりで道は未舗装、夜になると市役所の明かりだけが目立つ、子供心に「中町のほうが良かったな。」と思ったものでした。

やがて、私、利孝と二代目信利で個人店から、有限会社に変更しました。丁田町(現おかし広場)にて、ゼネコンや商社の仕事を中心にしてきましたが、バブルのはじけた頃から、仕事の出来や建物の長持ちより、元請業者の工事予算が優先され、仕事内容に疑問を感じながら、やむなく工事せざる終えない時代になりました。元請建設業者の言いなりの理不尽な仕事が多くなり自分の気持ちと、思いのズレを強く感じ、毎日悶々としていました。
そしてある日、今までの技術を活かす事の出来る屋根工事に特化、それも自分が生まれ育ったこの西尾を中心にした仕事をしたいと思い、二代目の父親と違う仕事を嫁と二人で立ち上げました。
これがエクセレントショップ西尾でした。

三代目 利孝(私)

エクセレントショップ西尾(カラオケニュース前、現住所)への思いは、遠くの、しかも建築主の顔も知らない現場で、ただ工事に追われ片付けに明け暮れる仕事から、自分が生まれ育った西尾市を中心に、お施主さんの顔の見える、ほんとに良い建材を選んで仕上がりを喜んでもらえる仕事をする為にスタートしました。

しかし立ち上げ間もない頃は、皆さんに知ってもらう為のPRの方法がわからず、数年間は村松鈑金のお荷物事業部でした。毎月毎月大変な苦労を嫁には掛けたと思います。
ようやく少しづつではありましたが、呼んでいただけるお客様が増え、私の調査やご提案するプランを信頼し、安全で、家が長持ちする修理や工事をしていただけるようになりました。
お付き合いさせていただいた方に「村松で、良かった!」と、いつまでも思っていただける地元の店として今後もより一層努力していきたいと思います。

そして、現在

 「エクセレントショップって、何屋さんかわかりにくい」とのお声で、2009年より、やねのむらまつ」と、変えました。
また、皆様によりわかりやすく、より気軽に呼んでいただけるようにと、まっ黄色の車で西尾中を走り回っております。

 皆さんが安心してお任せくださるように日々精鋭少数でがんばります。
よろしくお願いします。

お気軽にお問い合わせください

0120-361196